片づけで得られる癒やしの時間

Seamless pattern with autumn colour leaves. Vector illustration

こんにちは、ここみです。

ここに来て下さり、ありがとうございます。

私は5年前に離婚して、沢山のものを手放しました。

ものを選び直して初めて、誰かの目や自分の役割に囚われてきた事に気が付きました。

離婚した事については、あの時の自分にはそれ以外の選択肢はなかった、と思えるのだけれど、

やっぱり離婚せずに済むのであれば、それに越したことはないと思うのです。

あの時ああしていれば、こうしていれば、

結果は違ったかもしれない・・・そう思う事が色々とあります。

心が落ち着いてみて大事だと思った事が、自分自身と向き合う事。

忙しさにかまけて自分自身を無視しない事。

そして、「助けて」が言える事。

そんな事も片づけを通して見つめ直す事ができました。

片づけで日常から離れる

離婚する頃、適応障害になり、
職場でも頭痛・腹痛…とにかく具合が悪くて、涙も止まらず、仕事を辞めました。

一人になったのに収入は無い。

いつまで休めば元気になるのかもわからない。

家庭・健康・仕事を失って、不安な日々でした。

ただただ、焦る。

安心なんて得られるわけがない。

そんな頃、
ハローワークでカウンセラー(産業カウンセラー?)にカウンセリングを受けた事がありました。

早く再就職しなければと思うけど、心の問題があり、就職時期を迷っている事。

離婚調停中でもあり名字の切り替えも気になる事、
そうなると転職先で人から何か言われるんじゃないか・・・

色々と不安な事を相談しました。

その時に

「今、色々な事が空中に舞い上がっている状態だと思うの。
 落ち葉がね、風でぶわっと舞い上がるような感じ。

 その葉っぱがね、ゆっくりゆっくり、地面に落ちるのを待った方がいいんじゃない?

 今あれもこれも、舞い上がっている状態で再就職しても、心の負担が大きいと思いますよ。

 葉っぱが地面に落ちたら、1枚1枚見る事ができるから。
 そしたら1枚ずつ吟味して片づけて。仕事はそれからでもいいのでは?」

と言われました。

なんだか、落ち葉が舞い上がっている光景が目の前に浮かんで、妙に納得しました。

時間が経てば、必ず重力で落ちてくる。

今は休んで、1枚1枚落ちるのを待つしかない。

心の療養時間でした。

片づけをしていると、この仕事を辞めていた時のような、

いったん日常の色々な事から離れて、

自分自身と向き合うだけの時間を作れる事に気が付きました。

片づけは
これまでの自分と向き合って、認めて、許す、それを味わう癒やしの時間。

そこからまた、動き出す事ができる。

毎日忙しくて目の前の事に追われてしまうけど、
この立ち止まる時間を作る事って、
立ち止まった後の時間を豊かにするために、必要な時間なのだと思うのです。

衣類の片づけで自分を取り戻す

物を少しずつ買い直して気がついた事。

それは、子供を産んでからずっと、

「ママ」という役割に囚われて、自分自身を大切にしてこなかった事。

「ママが必要なバッグ。」

「ママが動きやすい服。」

「ママが子供を抱っこしていても歩きやすい靴。」

そして、思考も「良いママ」に囚われていました。

子供のための事を最優先にして、
自分の事を先にやってはいけない、自分の事は後回し。

みんなそうしてる、それがママなんだから、と思いこんでいました。

でもふと気づくと、ママじゃない、
「私自身」が不在のような状態で、なんだか苦しくなっていました。

私がやりたい事とか、私の感情とか

ママでさえいれば、私自身なんてどうでもいいのかな・・・と。

物を選び直して、

自分が好きな柄、好きなデザインをいつのまにか買わなくなっていた事に気が付きました。

結婚したから?ママになったから?

いつの間にか勝手に誰かの目を気にして、遠慮していました。

自分が自分の望む物にも、

少しずつ積み重なっていった息苦しさにも気が付かずにいた事に気付き、

なんとも言えない寂しさに包まれました。

自分自身に申し訳ないような、自分が可愛そうなような。

子供のために「ママ」である役割を考えるのは当然だけど、バランスなのでしょうね。

「ママ」である自分、「妻」である自分、「自分自身」のどれかだけを際立たせても、どれかを無視してもいつか壊れる。

誰にも遠慮せず、自分がちゃんと欲しい物を買おう、と選び直したら

自分が帰ってきたような、なんだかほっとしたのです。

衣類の片づけだけでも、色んな気付きがある。

片づけの奥深さにしみじみ感動した時間でした。

「助けて」が言えること

物の片づけをして、少しずつ心も整理されていきました。

心が元気になってから、
離婚前、何が辛かったのか、元夫にどうして欲しかったのか、沢山書き出してみました。

「ばかやろう!」
「お前も家事をやれ!」
「お前も育児しろ!」
「私は奴隷じゃない!」
「私はあんたのママじゃない!」

怒りの言葉を永遠書いてみたけれど、何か違う。

一番ヒットしたのが、

「助けて」

そして、苦しい。

子供が可愛いのに、可愛いと思えない。

にこにこ笑っている優しいママになりたいのに、なれない。

イライラして仕方がない。

子供に手を出してしまいそうで自分が怖い。

育児のストレスって、どうしてこんなに苦しいんでしょうね。

育児本を何冊読んでもイライラは止まらないし、頭では色んな事がわかっているのに全然うまくいかない。

他のママのようにかわいがってあげられない。

子供に対してのイライラと、夫に対してのイライラと、自分に対してのイライラと・・・

ごちゃごちゃになっていました。

「助けて。もう限界だよ。」

「医者じゃない、あなたに助けて欲しい。」

そう伝えたら良かったのに、

そもそも自分の心の状態が把握できていなかったし、どう助けを求めたらいいのかも、わかっていませんでした。

「怒り」じゃない、心の奥底にある感情をちゃんと見れていたら良かった。

「助けて」を言うためにも、自分の内側を見る事が大事。

片づけが、一回今から離れて、自分と向き合う、その手助けをしてくれます。

おわりに

こんまりメソッドの「片づけ祭り」は一生に一度やればいい、と本に書かれていますが、

私はこれまで何度も片づけ祭りをしてきました。

その時々で「ときめき」は変化するもの、と養成講座で教わったので、

人生の節目や、何か迷っている時にするのって正解だと思っています。

あらためて物を見直す事で、日々いかに色々な事を流して過ごしているか、

気づくことができます。

立ち止まって振り返る時間が、日々少しずつ感じる違和感や息苦しさを見つめ直す機会になります。

私のように色々な事が壊れてしまってから気づくのでなく、途中で気づいて欲しい。

そんな思いで書きました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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